レキシというバンドがある。日本の歴史のことだけを歌っているというコンセプチュアルというか、すこし変わっているバンドだ。だけど楽曲の素晴らしさと歌詞のポップさと曲ごとのゲストの豪華さと、本人(バンドと言ってもレキシは一人)のキャラクターの存在感で現在すこぶる人気のバンドだ。
レキシには「狩りから稲作へ」という縄文から弥生に移り変わる時代を描いた楽曲もあり、この曲はいまでは縄文好きのためのアンセムのようになっている。そもそも縄文を歌った歌などこの曲以外に存在しないのだから当然といえば当然だ。
かくゆう僕もラジオでこの曲を聴いて以来一発でファンになってしまい、何度もレキシを見にライブやフェスに足を運んでいる。
新代田FEVERという小さなライブハウスでレキシを見たとき(このライブハウスは上の階がスイミングスクールで、水泳帰りの小学生と迎えに来た若いお母さんと、バンドを見に来た変な服着たやつが入口でごっちゃになったうえ、ほんのりプールのカルキの匂いがするというなんだか変なライブハウスだ)レキシのすごさを感じた。なにしろ自由なのだ。即興も多いし脱線も多い。ゲストとのかけあいは楽しくてしょうがない。そして、これは本当にすごいことだとおもうんだけど、レキシは時間軸まで自由なのだ。現代から縄文、縄文から江戸時代、平安を経由して現代に、そこから戦国時代。たいていの人が歴史を扱うと、どこかお勉強のにおいがしてしまったり、間違えてはいけないという正直さに硬直してしまっていたり、なぜかその時代を神聖化して持ち上げてしまったり、どこかで軽やかさを失ってしまうものだと思うのだけど、レキシはそこからも自由なのだ。どこまでも軽やかに過去と現代を行き来して、びっくりするくらいに等身大の歴史を連れてくる。
たいへんおこがましいことではあるが、弊誌縄文ZINEはそのレキシの軽やかさをずいぶん参考にしている。
2015.9
2015.9
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