2016年2月27日土曜日

道具と縄文時代

ホームページに縄文人立話を追加しました。
http://jomonzine.com/pg149.html


A:道具って大事だよね。
B:まあ大事だよね。
A:お前が思ってるより道具って大事だよね。
B:なんだよいきなり。道具が大事なのはちゃんとわかってるよ。石器とか土器とか、弓矢とか服とか、俺たちは道具にすげえ頼っているってことだろ。全然わかっているよ。
A:やっぱり全然わかってねえよ。
B:なんなんだよ!
A:お前は道具をわかってねえ。弥生かよ!
B:俺だって縄文人だよ! だから一体なんなんだ。
A:お前は道具の大事さをこれっぽっちもわかってねえんだよ! お前は道具だったらなんだっていいって思っているだろ、用を足せて上手く使えるんだったら十分だと思っているだろ。
B:え、違うのかよ、そこが一番重要だろ。
A:だから分かってねえって言ってるんだよ。機能性とか便利とかそういうのは関係ねえんだよ。
B:…禅問答みたいでわけわかんねえよ!
A:お前ベッキーの「卒論」ひでえと思ってるだろ。
B:思ってるよ。あれはひどいよ、バカにしすぎだよ。ってなんだよ急に。道具の大事さの話じゃねえのかよ。禅問答より支離滅裂だぞ。
A:ベッキーが悪くねえとか、ゲスのあいつがどうのとか言ってるんじゃないんだよ。あれは俺から見たらかわいそうだっていう話。
B:だから道具のことはどうなったんだよ! 土器とか石器とかどこ行っちゃったんだよ!
A:黙って聞けよ、卒業させないぞ。
B:卒論にかけても全然上手くもねえよ。
A:ドッキー大学
B:獨協大学みたいに言うな!
A:ははは、冗談、縄談。ベッキーがかわいそうだって言ったのはさ、あれって半分は道具のせいだと思うんだよ。
B:道具? 携帯電話?
A:そうじゃなくて、「LINE」っていう道具のことを言ってるの。
B:「LINE」は道具っていうよりアプリ…。
A:アプリだってなんだって何かをするための「ツール」に変わりがないだろ。俺が言いたいのはさ、あの「LINE」というツールを使って真面目な会話なんてできねえって言ってんだよ。あそこで真面目な会話をすればするほど滑稽だよ。
B:確かに、それはそうだな。
A:もちろん「LINE」というツールを使いなれているはずのベッキーもゲスもそんなことはわかっているから、あえて軽口をたたくし、変な揶揄もしょうもない冗談も「LINE」上ならなんとなくなんとかなって、最後には「スタンプ」を連打したら会話が成立しちゃう。
B:スタンプ連打って、会話、成立してる?
A:つまりは「LINE」のやり取りであれば「卒論」だって「センテンススプリング」だって、ある意味において正しいんだよ。軽口を言い合うツールで仲の良い男女が軽口を言い合っただけなんだよ。
B:「センテンススプリング」はどこに出してもスベってる気もするけど…。
A:まあ、別にベッキーのことが言いたいんじゃなくて、道具によって人の行動や気持ち、さらには性格まで変わっちゃうことがあるっていうことが言いたいんだよ!
B:えー、道具は結局のところ道具で、使う人次第なんじゃないか?
A:だからお前は弥生だって言うの。例えばすごく高くて自分に似合っていると思っているコムデギャルソンの服を着て街に出るとしたらどうだ。気分がいいし、いつもより自分に自信がでるだろ。逆にボロボロで自分でもイマイチ決まっていない服を着ている時は、なんか自信がないだろ。
B:それはまあ、確かに。
A:例えば最新の武器を持って狩りに行く時と、下手くそが作ったふにゃふにゃなこんにゃくみたいな弓矢を持って狩りに行く時はどうだ。最新の武器を持っていたら強くなった気がして獲物でてこいや!って感じで、ふにゃふにゃこんにゃくの時はできれば今日はこのまま誰にも出会わず帰りたいってずいぶん内気な感じだろ。
B:そりゃそうだよ。なんだよふにゃふにゃこんにゃくって。
A:ほら、道具によって自分の行動や気持ち、性格まで変わるだろ。道具を使う側が道具を支配しているっていうのがだいたいの間違いで、道具の特性や性格に、使う側が逆に左右されて、道具に自分自身を合わせたりしなきゃならないことがあるんだよ! 
B:うーん…。
A:オレたちの作る火炎式を始めとする装飾過多な土器たち、あれ、煮炊きに使ってたろ。
B:ああ、使ってた。すげえ使いづらい。
A:煮炊きに使うだけならあの装飾はいらねえだろ。でも機能にプラスにならない縄文を付けてマイナスにしかならない過剰な装飾を土器に施しているだろ。
B:疑問だな。
A:疑問じゃねえ! あの土器で煮炊きするっていうことは、高くてカッチョいい服を着て街に出るということで、最新の武器を持って狩りに出るということなんだよ! オレたち縄文人はわかっていたんだよ、道具の本当の大切さを。装具によって自分自身まで変わるっていうことを。だからさ、弥生土器みたいな機能一辺倒で何の装飾もない土器を嬉しそうに使ってるとさ、つまらねえ人間になっちまうんだよ。
B:おい! 口が悪すぎるよ! 弥生土器に装飾が少ないからって、つまらねえ人間はないだろ!
A:まあ確かに言いすぎた。道具は大切だっていうことが言いたかっただけだ。あとベッキーがかわいそうだっていうことも言いたかった。それから火炎式土器はコムデギャルソンと一緒だということも言いたかった。それと別に無印良品の悪口が言いたいわけではないということも言いたい。最近のほっこり男子には一言だけ言いたいことがある、それから…
B:長えよ!

2016年2月25日木曜日

次号は貝塚特集です。

縄文ZINE2号を各地に配布し始めてそろそろ約一ヶ月がたちました。みなさんのお手元にも縄文ZINEは届いたでしょうか? 編集部の方でもやっと一息という感じです。配布先は二百数十ヶ所、配送料もですが、梱包発送だけでもなかなか一苦労でした。この苦労の分だけいろんな人に届くのだ、と作業をさせていただきました。
今回は1号以上に刷り部数を増やしての配布でしたが、在庫は残り十パーセントほど。前号も約一月で無くなってしまい、増刷などをしましたが、今回は絶対に増刷はしません。

そろそろ次号のことも始めています。2号の最後にも次号予告として貝塚特集を予告していますが来月には取材をいくつか入れています。色々と貝塚について調べたりもしているのですが、日本は実は貝塚天国で海岸線は貝塚だらけです。海岸線と言っても今より海水面が少しだけ高かったので貝塚はちょっとだけ内陸に位置しているんですが。
今後の取材次第でどんなお話になるのかはわかりませんが、貝塚弱者の方から貝塚強者の方まで楽しめるような特集にしようと思っています。


2016年2月24日水曜日

Zガンダムと縄文ZINE2

縄文ZINE2号が全国で配布され始めています。もちろん未だ配布場所のない県も、配布部数の少ない地域もあると思いますので、津々浦々とは言えないことは重々承知しております。縄文ZINEとしてもなるべくなら手薄な地域をなくしたいと思っていますのでそのような地域のイカした拠点を誰かしら紹介していただけたら、優先的に配布させていただきます。(可能なら人がたくさん集まる場所がいいですが…)
今回の特集は「火炎土器」です。言わずと知れた縄文時代を代表する土器ですが、そこはもちろん縄文時代、これが何なのか何がどうなのか。謎な事とわかっている事とでいうと、7:3で謎の方が多いように思えます。
特集を読んでいただけるとわかるのですが、最後に火炎土器の次にその地域で現れた土器の写真を載せています。この写真を知り合いの土器の修復家に見せたところ、「これの造形はまるでZガンダムみたいだ」と、もちろん中年の彼は少年のような目を輝かしていました。確かにそう言われるといわゆる火炎土器が初代ガンダムのように見えてくるから不思議です。もしかしたら縄文土器もサンライズアニメも同じような進化をしていたのかもしれません。

(2016,1,28)


第2号と縄文ZINE

なんだって1号を作るのは大変だ。何しろ最初だからイマイチ勝手も分からないし、慎重に、時間もかけて、そしてずいぶんと気負って作られる。もしその慎重さと気負いが「縄文ZINE」に見えなければ、それはそれでこちらの人間性の軽さが原因なんだと思う。
2号というのは比較的楽な立場だ。作る方としても慣れがあるし、気負いも慎重さも薄れ、時間もそれほどかけられない。まさに次男坊のように、のびのびと自由奔放に作られる。
人間でいえば、意外と長男より次男坊の方が大成するような気がする。自分の才能や能力に屈託がないからなんだと思う。縄文ZINEもそうなればいいなと思う。僕はといえば長男なのですが…。
縄文ZINE2号が今月1月20日頃から全国に配布されます。お近くの配布場所に届くのには若干のタイムラグがあると思います。なるべく1月中にはあらかた発送できればと思っています。見かけたらぜひ手に取ってみて、ほんの少しでも縄文時代に思いをはせてみてください。新しい企画も、1号から引き続きの企画も、訳のわからない企画も、まともな企画も、なんでも載ってます。

(2016,1,15)

あけましておめでとうございます

大晦日の夜、紅白歌合戦の裏で、縄文歌合戦をツイッター上でひっそりと行っていました。文字の無かった時代である縄文時代では「歌」というのは今よりも切実で特別なものだったんだと思います。@jomonzine
縄文時代の暦はどうなっていたのかは全くわかりませんが、1年というサイクルは概念としてあったと思います。今の1月1日とは限りませんが、彼らもやはり、1年の終わりを静かに過ごし1年の始まりを賑やかに祝ったのでは?とお正月に思い浮かべたりしていました。
新年明けましておめでとうございます。昨年8月に誰からも依頼されずに刊行された弊誌「縄文ZINE」ですが、たくさんの好意的なご意見をいただきました。ありがとうございました。大変勇気づけられました。雑誌としての今年の目標としては2号、3号、4号と続けていけたら良いと思っています。本年もどうぞよろしくお願いします。

(2016,1,3)

縄文ZINE、品薄です

縄文時代は栗やドングリなどを地面に穴を掘って貯蔵していたようです。入り口が狭く、中はフラスコ状に広くなっているタイプが多かったようです。今でいう床下収納のようなものでしょうか? さて縄文ZINE1号が品薄という告知です。そもそも品薄になってからいくつかのメディアに取り上げられ、読みたいと思っている方に届かない状態になってしまっているようです。大変申し訳ないです。ご面倒でも配置先に連絡をして在庫があるかどうか確かめていただいた方が確実かもしれませんが、無いものは無いのです。
(2015,12,17)

縄文ZINE2号、鋭意作成中です。

10月31日の夜。新宿で中の中くらいの映画を見て初台方面に帰宅する途中、甲州街道と平行に走る水道道路を歩いている時のことでした。後ろからパタパタという早歩きの音とともに「原チャだと白バイはゼッテー振り切れないんだよ、あいつらすげーから。でもPCは簡単だけどな」という声。久しぶりに絵に描いたような意気がったセリフだなと思い、振り向いて見てみると、不良という格好からは程遠いオタクっぽい真面目そうな若者が5、6人長いレンズを付けたカメラを手にして意気揚々と歩いていた。
歩調を少しゆるめ彼らをやりすごし、彼らの後ろ姿を眺めた。一体彼らはなんのグループなのだろう。
しばらく眺めてると彼らは早歩きから本格的に駆け出した。そのうち一人が比較的近くで立ち止まりカメラを三脚にセットし始めた。カメラは水道道路を向いている。水道道路は片側一車線のそれほど広くはない普通の東京の道路だ。その先ではまた別の一人が同じようにカメラをセットしている。さらにその先では3人まとめてカメラをセットしだした。さすがに不思議に思い僕は話しかけてみることにした。
「何を撮っているんですか?」
話しかけられた彼は、急に声をかけられたせいか若干緊張した感で答えを教えてくれた。
「あの、バスの上に出ている行き先表示が、今日で変わるんです。いままではロールの表示だったのが明日から全線電飾の表示になるんです」「それでみんな撮っているわけなんです」
僕は「へーなるほど」と気の抜けた返事をしてその場を後にした。バスの上に出ている行き先表示が変わるということの何が面白いんだかと思うのと同時に、いわゆる縄文好きも『こっちサイド』だなとも思った。
同じ頃渋谷駅周辺、『こっちサイド』ではなく『あっちサイド』では大仮装大会が開催されていて、無自覚無批判没個性集団という正確な意味でのロメロ的な『ゾンビ』がゾンビやスーパーマリオのメイクと格好をしてショッピングモールではなく渋谷のスクランブル交差点の前で群れをなしていた。とにかくすごい人数だ。戦っているわけではないけれどいまのところ勝ち目はない。
がんばれバスの表示、がんばれ縄文!

縄文ZINE2号、鋭意作成中です。
2015.11

縄文ZINE、増刷です

こんなに刷って大丈夫だろうか、これからは在庫の段ボールに囲まれて生活をおくるのか…と、おっかなびっくり刷り部数を決め、8月の後半に設置を始めた縄文ZINEですが、大変好評で各地からの問い合わせが相次ぎました。光のささない段ボールに囲まれた生活をおくるというディストピア幻想は杞憂に終わり、約一ヶ月で全ての在庫が無くなってしまいました。
それでも設置の要請は増え続けているので、いろいろ悩んだのですが、ガツンと増刷することにしました。やはり求められる以上は応えるべきだという発想です。
設置先のみなさま、縄文ZINE設置希望のみなさま、在庫がさみしくなりちょっと出し渋った時期はありましたが、いまはちゃんとお出しできますのでどうぞお気軽に声をお掛けください!


増刷分と初版分の見分け方は増刷分から2色ページの特色の色が少し明るくなっています。(ちょっと濃すぎたなという反省からです)
2015.10

中央線と縄文ZINE

中央線沿いのたくさんのお店に縄文ZINEは置いてある。いろいろな場所のいろいろなお店に声をかけ弊誌を置いてもらっているのだけど、中央線沿線ではほとんどのお店で快諾してもらっている。こう言ってはなんだけど、この優しさが人を堕落させるのだろう。
国分寺にある超山田堂(ちょやまだどう)というお店にも縄文ZINEは置いてある。ここは古くからある中央線文化を煮詰めた上に煮しめたような古本屋だ。誰かにとっての掘り出し物しかない中古レコード、CDと古本とおもちゃと、元ゆらゆら帝国の坂本慎太郎の絵のTシャツが圧縮陳列されている。縄文ZINEを置きがてら縄文話をだらだらとして楽しい時間をすごさせていただいた。2200円のTシャツを買おうとして、細かいお金が無く、1万円札を出したところ、ちょっとおつりが無いと言われ、一緒に行った友人に千円札を借りて3000円で払おうとしたところ、やはりおつりが無いと言われた。ここは個人タクシーばりにおつりが無い店だ。国分寺に行くことがあれば超山田堂に行ってみて下さい。
高円寺に新しい人という古道具屋がある。このお店にも縄文ZINEは置いてある。新しい人のオーナーは小池さんで、このお店だけで通用する独自通貨「こい券」を発行している。そのありようはまるで現代アートのように現実への批評になっている。高円寺に行くことがあれば新しい人をぜひのぞいてみて下さい。

縄文時代はお金という概念の無かった時代だ。物々交換と貸し借りで1万年やってきた時代です。弊誌「縄文ZINE」はフリーペーパーです。
2015.9

レキシと縄文ZINE

レキシというバンドがある。日本の歴史のことだけを歌っているというコンセプチュアルというか、すこし変わっているバンドだ。だけど楽曲の素晴らしさと歌詞のポップさと曲ごとのゲストの豪華さと、本人(バンドと言ってもレキシは一人)のキャラクターの存在感で現在すこぶる人気のバンドだ。
レキシには「狩りから稲作へ」という縄文から弥生に移り変わる時代を描いた楽曲もあり、この曲はいまでは縄文好きのためのアンセムのようになっている。そもそも縄文を歌った歌などこの曲以外に存在しないのだから当然といえば当然だ。
かくゆう僕もラジオでこの曲を聴いて以来一発でファンになってしまい、何度もレキシを見にライブやフェスに足を運んでいる。
新代田FEVERという小さなライブハウスでレキシを見たとき(このライブハウスは上の階がスイミングスクールで、水泳帰りの小学生と迎えに来た若いお母さんと、バンドを見に来た変な服着たやつが入口でごっちゃになったうえ、ほんのりプールのカルキの匂いがするというなんだか変なライブハウスだ)レキシのすごさを感じた。なにしろ自由なのだ。即興も多いし脱線も多い。ゲストとのかけあいは楽しくてしょうがない。そして、これは本当にすごいことだとおもうんだけど、レキシは時間軸まで自由なのだ。現代から縄文、縄文から江戸時代、平安を経由して現代に、そこから戦国時代。たいていの人が歴史を扱うと、どこかお勉強のにおいがしてしまったり、間違えてはいけないという正直さに硬直してしまっていたり、なぜかその時代を神聖化して持ち上げてしまったり、どこかで軽やかさを失ってしまうものだと思うのだけど、レキシはそこからも自由なのだ。どこまでも軽やかに過去と現代を行き来して、びっくりするくらいに等身大の歴史を連れてくる。

たいへんおこがましいことではあるが、弊誌縄文ZINEはそのレキシの軽やかさをずいぶん参考にしている。
2015.9

続、縄文ZINE、好評です

縄文ZINEの設置が始まり1週間、ありがたいことに直後から各地からの問い合わせをいただき、いくつかの設置先を今回追加させていただきました。自治体や博物館からの設置希望も多く、日々配送に追われています。けっして真面目で品行方正な内容ばかりでない弊誌『縄文ZINE』なので、こんどこそなにかしらのお叱りをうけるかもしれないと首をすくめながらの梱包作業ですが…。そして、うれしいことに福島県の家具と家のショールーム「La Vida」さんから設置のご希望をいただき、これで(実は)ひとつの目標であった縄文時代の中心である東北の全県に設置先ができました。まだ広い県内に1、2ヵ所なので少ないことは少ないのですが、うれしいことはうれしいので、縄文ZINE、好評です。
2015.8.23

縄文ZINE、好評です

今週、8/18の週から縄文ZINEの設置が始まりました。まだ発送作業が終わっていない場所もあるので予定された設置場所に行き渡っていません。来週には完了したい所存です。お近くに設置場所が無い方もたくさんいらっしゃると思いますが、現在も配置場所は増えていますので、いつか皆さんのお近くのイカしたお店に置いてもらえたらいいなと編集部では前向きに考えています。
いまのところ、目立った苦情などは来ていないようです。ということは…好評です!
2015.8.18